2017年10月22日 18時52分30秒 (Sun) あれこれボヤきたくなった時の対処法
私たちは、
わかってはいるけれど、
過去や未来を考えてはため息をついてしまう。
なぜなら、
焦点があわせやすいので、よーく見えているような気がするからだ。
お姑さんのことで悩むお嫁さんは多い。
「うちの義母とは話が合わなそうなので、仲良くなれそうにないの」
と言う。
「お嫁に来た時に、すっご~い嫌みを言われて、いつもびくびくしちゃう」
などと言う。
半年でも、3年でも時間が経てば、いくらかは人は変わる。
お姑さんも病気をして気弱になるかもしれないし、
かわいい孫が出来て、溺愛してしまうかもしれない。
そうなると、
いつまでもいがみあっているわけにもいかないだろう。
嫁姑の関係も変わってくるかもしれない。
で、
「今はどうなの?」と訊いてみると、
「あまり会わないから・・・。
お義母さんも仕事してるし、夫の実家は地方だし・・・。
年に1回くらいかな、会うの」
が、『今 ここ』なのだ。
1年に1度のことを、
まるで365日起こりうるように考えてしまったり、
過去の数回の出来事を全てのことのように同化してしまったり。
しまいには互いに歳をとり、環境も変化するはずなのに、未来永劫継続し続けるように思いこんだり。
そんなことはないですか?
子供のことで悩む親も多い。
「もうすぐ高校なのに、全然勉強しないのよ」
と愚痴る。
「登校拒否もあって、1学期はあまり学校に行ってないの、あーぁ」
とため息。
おそらく、
『このままの調子で勉強しなかったら、いい高校に行けないし、
大学だって、三流になってしまう(に違いない)。
大人になれるのかしら…』
と行く末を案じてしまっているのだろう。
『学校に行かないなんて、昔だったらとても恥ずかしいこと。
それにこのまま登校拒否が続いたら、卒業はできるのかしら』
という世間体も含めて、否定的になっているのかもしれない。
思春期の子どもは親以上に不安を抱えている。
自分の身体の成長と変化も、戸惑いと不安の大きな要因だ。
自分の生き方についても模索しているから、精神的に不安定に見えることが多い。
でも、それは乗り越えられる“成長の過程”であり、
子供もまた確実に大人になる。
で、
「今はお子さんどうなの?」と訊いてみると
「勉強はあんまりパッとしないけど、部活は一生懸命なのよね」
と目が輝く。
「学校には行かないけど、まぁ病気でもないし、家ではそこそこしゃべってくれるし…」
と言う。
そればよいこともたくさんあるではないですか!!
もし、重い病気だったり、精神的に苦痛を感じているような環境にいたなら
親としてもっと苦しいはず。
100点満点ではないかもしれないけれど、
十分に良い点数をつけれるのでは?
視界に入りやすい所ばかり見る癖をつけると、
そこは
「つらい」
「たいへん」
と言いながら、実は結構、何か張り合いや自己肯定につながるところ。
自分が視界に入れたい所であることが多い。
足元をしっかり見ることができると、
そこは“現実”
フラットな現実がみえてくる。
フラットということは、思い込みに囚われずに正確な今が見えるという事。
人が最も苦手な事は、この
『今 ここ』をしっかり見極めるということと言われる。
お盆休暇もあり、
何かと気ぜわしくイライラすることが増えるかもしれない。
親戚とのつきあい。
夏休みの子どもの行動。
皆が休みで顔を合わせ、共有した時間も過ごさなくてはならない。
もし、いらっときたら、
何かにムカついたら、
ちょっと自分の「今 ここ」の気持に目を向けてみて。
「もう、お母さん、こんなにたくさん料理作ったて、私ダイエットしてるんだから食べないよ!」
でもほんとは
『久しぶりにお母さんのつくったごはん食べれてうれしい。ありがとう』
なのでは?
「もう、遊んでばかりいないで、さっさと夏休みの宿題しなさい!」
といいつつ
『病気もしないで元気でいてくれるから、私も普通に仕事に行けるわ』
なのでは?
「よいところ」に目を向ける必要はない。
「今 ここ」に素直に目を向け、自分のありのままの気持を確かめてみることが重要なのだ。
わかってはいるけれど、
過去や未来を考えてはため息をついてしまう。
なぜなら、
焦点があわせやすいので、よーく見えているような気がするからだ。
お姑さんのことで悩むお嫁さんは多い。
「うちの義母とは話が合わなそうなので、仲良くなれそうにないの」
と言う。
「お嫁に来た時に、すっご~い嫌みを言われて、いつもびくびくしちゃう」
などと言う。
半年でも、3年でも時間が経てば、いくらかは人は変わる。
お姑さんも病気をして気弱になるかもしれないし、
かわいい孫が出来て、溺愛してしまうかもしれない。
そうなると、
いつまでもいがみあっているわけにもいかないだろう。
嫁姑の関係も変わってくるかもしれない。
で、
「今はどうなの?」と訊いてみると、
「あまり会わないから・・・。
お義母さんも仕事してるし、夫の実家は地方だし・・・。
年に1回くらいかな、会うの」
が、『今 ここ』なのだ。
1年に1度のことを、
まるで365日起こりうるように考えてしまったり、
過去の数回の出来事を全てのことのように同化してしまったり。
しまいには互いに歳をとり、環境も変化するはずなのに、未来永劫継続し続けるように思いこんだり。
そんなことはないですか?
子供のことで悩む親も多い。
「もうすぐ高校なのに、全然勉強しないのよ」
と愚痴る。
「登校拒否もあって、1学期はあまり学校に行ってないの、あーぁ」
とため息。
おそらく、
『このままの調子で勉強しなかったら、いい高校に行けないし、
大学だって、三流になってしまう(に違いない)。
大人になれるのかしら…』
と行く末を案じてしまっているのだろう。
『学校に行かないなんて、昔だったらとても恥ずかしいこと。
それにこのまま登校拒否が続いたら、卒業はできるのかしら』
という世間体も含めて、否定的になっているのかもしれない。
思春期の子どもは親以上に不安を抱えている。
自分の身体の成長と変化も、戸惑いと不安の大きな要因だ。
自分の生き方についても模索しているから、精神的に不安定に見えることが多い。
でも、それは乗り越えられる“成長の過程”であり、
子供もまた確実に大人になる。
で、
「今はお子さんどうなの?」と訊いてみると
「勉強はあんまりパッとしないけど、部活は一生懸命なのよね」
と目が輝く。
「学校には行かないけど、まぁ病気でもないし、家ではそこそこしゃべってくれるし…」
と言う。
そればよいこともたくさんあるではないですか!!
もし、重い病気だったり、精神的に苦痛を感じているような環境にいたなら
親としてもっと苦しいはず。
100点満点ではないかもしれないけれど、
十分に良い点数をつけれるのでは?
視界に入りやすい所ばかり見る癖をつけると、
そこは
「つらい」
「たいへん」
と言いながら、実は結構、何か張り合いや自己肯定につながるところ。
自分が視界に入れたい所であることが多い。
足元をしっかり見ることができると、
そこは“現実”
フラットな現実がみえてくる。
フラットということは、思い込みに囚われずに正確な今が見えるという事。
人が最も苦手な事は、この
『今 ここ』をしっかり見極めるということと言われる。
お盆休暇もあり、
何かと気ぜわしくイライラすることが増えるかもしれない。
親戚とのつきあい。
夏休みの子どもの行動。
皆が休みで顔を合わせ、共有した時間も過ごさなくてはならない。
もし、いらっときたら、
何かにムカついたら、
ちょっと自分の「今 ここ」の気持に目を向けてみて。
「もう、お母さん、こんなにたくさん料理作ったて、私ダイエットしてるんだから食べないよ!」
でもほんとは
『久しぶりにお母さんのつくったごはん食べれてうれしい。ありがとう』
なのでは?
「もう、遊んでばかりいないで、さっさと夏休みの宿題しなさい!」
といいつつ
『病気もしないで元気でいてくれるから、私も普通に仕事に行けるわ』
なのでは?
「よいところ」に目を向ける必要はない。
「今 ここ」に素直に目を向け、自分のありのままの気持を確かめてみることが重要なのだ。